末の事(まつのこと) 徳水山 真壽寺 ブログ

砺波市出町にある真宗大谷派の寺院です。1649年開基と伝わる念仏道場としてのお寺です。徳水山真壽寺と申します。ですが、あだ名として、まつじ として呼ばれる事が多く、もしかしたら まつじ の方が通りが良かったりします。

あらためて、ブログ記事を書いていきます。少し書いて休んでおりました。お許しください。

どこまで、続きますやら。

ブログを書こうと思いたち、いろいろ可能な事を考えておりました。そして、一つ思いついた事があります。その方法に則って、出来るだけ書いていきたいと思います。思いたつのは簡単ですが、どれだけ持続出来るかは未知数です。ですが、限りなく継続出来ればと、思います。法則にのっとり書いていきたいと思いますが、法則に気づいた方がいらっしゃれば是非お友達になりましょう。

 

そして、漢字にこだわって、漢字を基に、ブログを書いて行ければいいなあと思っています。なぜ漢字にこだわるのかというと、お経や偈文は全て漢字で書いてあり、漢字にこだわり今に伝わるわけです。徹底して、漢字にこだわりたいと思います。

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1日目は、『説』です。

 

皆さんは、普段どの様な説に則って、生活されていらっしゃいますか?と、突然に尋ねられたらどの様にお答えになりますか。世の中には、信頼すべき説もあれば、まったく嘘の様な説がさまざまに、流れています。頼りになる『説』が違うと、ケンカの種になったり、ケンカしないまでも、疎遠になってしまったりするわけです。自分には頼りにしてる『説』なんて、あるわけ無いわって思う方もあるでしょう。ですが、人間は毎日何かを選択して生きています。答えがはっきりしている選択がほとんどかも知れません。どうやったら、上手いことやれるかって事を第一に生活しています。うまくいっている時は、とても幸せで、ともすればとても思い通りの世の中なような気になったりします。逆に思い通りに行かないことがあると、お先真っ暗、世界が白黒に見えたりします。

 

我々は、生まれながらにして、命をいただいています。宇宙のほんの一つの星に、どうしたことか生命となって、人間として命をいただいています。広い広い世界を想うとなんだかとても偶然の積み重ねみたいなことで、ここにいるわけです。そして、家族の『説』のなかに成長し、先生の『説』を学んだり、テレビやラジオや新聞や、インターネットに流れている『説』を知ったりします。そして、あっちの『説』、こっちの『説』と迷いながら生きていくわけです。何か一つの真実に触れることもなく、行ったり来たり、あっちがよかったり、こっちがよかったりしながら、死んでいくわけです。

 

人間として生を受け、本当の『説』に触れる機会があったなら、それはとても幸せなことだと思います。

皆さんも、本当の『説』に触れてみませんか?

 

壽照

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